細い身体と、白い肌と
暑い。
昼は半袖で丁度いいくらいの気温になってきた。
私の職場は観光地に近いため、海外の人が毎日のようにたくさん歩いている。
気温が最近よりもっと低かった頃から半袖に短パンで歩く海外の観光客(特に欧米の方)は多かった。
「肌寒い」っていう概念がないのだろうか。
服装に迷いがなさそうで羨ましい。
毎日のように天気予報を見ては
「今日は半袖か…?」
「パーカーとかあった方がいいか…?」
「ジーパンだと暑いか…?」
などと考える私とは違うんだろうな。
朝、私が服に悩んでる間、きっと彼らは迷いなく半袖と短パンを選んで、コーヒーでも飲んでいるのだろう。
そんな中、私はというと悩みに悩んだ挙句、パーカーやカーディガンなどを念のため詰めた重いリュックを背負うのだ。身軽な彼らとは対照的である。
私は短パンが履けない。というか、履かない。
できれば半袖も着たくない。ノースリーブなんて絶対にイヤだ。
昔から、太れない体質なうえ肌が白かった。
食べても太らない。
筋トレしても筋肉はつきにくい。
肌は焼いても赤くなるだけ。数日で真っ白に戻る。
親の遺伝なのかなんなのか、私は見るからに病弱そうな見た目をしていた。(こんなに元気なのにね)
小学生や中学生なんて、見た目がみんなと違うといじめの対象となるのが世の常だろう。
私も例外ではなかったと思う。
「いじめられた」という意識はないものの、小学生の頃くらいから、すれ違う知らない人に「ほっそ!」と言われることがよくあった。
そのせいか小さい頃から半袖や短パンを履くのが嫌いだった。特に短パン。
腕の細さより、足の細さの方が目立ちやすいから。
さらに肌も真っ白となれば、なおさら肌を出したくはない。
勝手に病弱扱いされて、勝手に運動できないことにされて。
部活では普通にレギュラーをとっていたし、体力テストも平均以上の記録は出していた。
可もなく不可もないくらいだったはずなのだ。
それでも心配されたり、笑い者にされたり。
あの頃の私は、ヘラヘラしてやり過ごすことしかできなかった。
大学に入るとみんなやけにオシャレに目覚める。
高校までは似たような服を着ていた人たちが、大学で急に自分の好みを全面に出す服装に様変わりする。
私も、オシャレがしたかった。
でも、肌は出したくない。
夏になると、大学生という生き物はBBQをしたがる。それが学生の中でのステータスなのだ。
「友達がたくさんいる」
「夏を楽しんでいる」
そんなアピールをSNSですることで、大学生という生き物は生き甲斐を感じる。(今の大学生もそうなんですかね?)
大学時代の私も「友達とBBQをした」ということをステータスと感じていたので、色んな友達と何度もBBQを企画していた気がする。
今思えば無理して背伸びしていたと思う。絶対に涼しい屋内で焼肉を食べてた方が楽しいよ。
ある日のBBQ、大学のとても可愛い女の子が参加していた。
少ししか話したことがなかったので、私としてはそこで仲良くなりたかった。あわよくばデートでも…なんて思っていた。
少しお酒も入り、その子と話せるタイミングがあったので、私はここぞとばかりに話しかけていた。
すると、唐突にその子が大きな声で言ったのだ。
「ねえ、この暑さで長ズボン履いてるってどういうこと?こっちまで暑くなる!」
その子の声に反応して、みんなが私を見る。
私を見て、ケラケラ笑ってる。
私は半袖のTシャツに、長いチノパンを履いていたから。
肌を出せば笑い者、隠しても笑い者。
どうすればよかったのだ。
いつも通り、ヘラヘラしてやり過ごした。
それしかできなかった。
今でもたまに思う。
私は何を着ていればよかったのだ。
それとも、笑われた時のうまい返し方を考えればよかったのか。
正解は未だわからない。
たまに思い出しては、つらくなる。
社会に出るならスーツを着る仕事をしよう。
大学の頃からそう決めていた。
スーツなら肌を出さなくて済む。ワイシャツの袖を捲ったって、肘まで腕を露出するかどうかだから。
予定通りスーツを着る仕事に就いた。
しかし、スーツかどうかなど関係なく、社会人になると体の細さも肌の白さも言われることがほとんどなくなった。
いい大人が他人の身体的特徴を笑うなんて、あってはならないから当たり前といえば当たり前だ。
でも、大人じゃなければ言ってよかったのか。
私のつらさは誰にぶつければいい。
つらい思い出はどうやって癒せばいい。
30代になった今でも半袖は苦手だし、短パンは無理だ。
でも今では頑張って半袖をたまに着るし、ズボンは9分丈くらいまで履けるようになった。
つらい思い出は消えないものの、
小さい頃から他人にかけられた呪いが、やっと解けてきている。
もう少し。もう少しな気がする。
今年の夏は、
半袖を着る頻度を増やしてみようかな。